佐志水
親父は海軍飛行兵だったのが自慢です。
急に「佐志水」と言われても分かる人が10万人に1人もいれば良い方でしょう。
特殊な専門用語なんです。
親父は軍隊経験が懐かしいんでしょう。お酒が入ると必ずって言うくらい戦争の話が出るんです。
確かにその活躍は認めますが、オレは戦争が嫌いだからと話に同調しないできました。
でも、オレも一時期、援護の担当をしたことがあって、少しだけ勉強もさせて頂きました。
恩給(扶助料)を貰えないって嘆いていた人に関わって、県内を駆けずり回り、東京の戦友や上官の証言を引き出し、書類をまとめて上げた事がありました。
残念ながらオレが担当を変わった後で法律改正があり、次の担当者がその書類を提出して扶助料を貰って上げました。
感謝されたのは次の担当者であって、オレは時間を掛けて引っ張りまわしただけで何も貰ってくれなかったと恨まれたままです。(-_-;)
話を戻して、「佐志水」とは佐世保入隊の志願の水兵(海軍兵)という意味の記号で、オレの親父も海軍の航空兵でしたが、その肩書きも佐志水です。
上勝町からの入隊は大半が陸軍なんですが、志願してこその海軍であり、その中から選抜されて初めてなれる戦闘機乗り(航空兵)であった訳なんです。
オレはあまり詳しくは聞いてないんですが、ガダルカナルやアッツ島、ニューギニアの何とかって飛行場の名前が良く出てきますが、玉砕した戦場も飛び回っていた中にあるようです。
そんな危険な地域を飛び回っていながら、現在も生きてるなんて本当に奇跡としか言いようがありません。(そのお蔭でオレが生まれたんですがナニカ?)
そんな華々しい経歴を持っているだけに思い出話に花を咲かせ、自慢話をしたいというよりも、語り継いでおきたいんだろうと思います。
「終戦後、数年たってからのことじゃ。飛行時間が長かったけん経験を買われ、航空各社からパイロットとしての誘いがようけ来たけんど、家族を捨てては行けなんだわ。」
少し悩んだことも良い思い出。
オレ以上に人生経験が長いだけに色んな葛藤もあったことでしょう。
しかし、そんな親父さんたちの後を引き継いだ筈の自衛隊はどうなってるんでしょうね。
今、防衛省の堕落ぶりをを見ていると、オヤジたちが可哀想です。
最近、親父の自慢話も口数が減っている・・・・。
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コメント
初めまして
佐志水の言葉の意味を教えていただき有難うございます。 昭和18年12月南方 ラバウル諸島で戦死した伯父(生きていれば満100歳)が戦時中海軍航空隊通信学校での水泳大会の写真の裏に、佐志水20775の記述があり、一体どういう意味なんかな?とずうっと疑問でした。佐世保 海軍 志願兵の意味だったのですね。 疑問が解明されて嬉しき限りです。ちなみに伯父は土佐の高知の出身です。
投稿: mic | 2018年11月 3日 (土) 23時15分